(このブログは記憶を頼りにしており、内容に間違いがある可能性があります)
第1回のお題として選んだのは「DOS/V」。Windows XPが普及して、DOS/Vが使われなくなった時代でも、いわゆる、IBM-PC互換機(というかすでに互換機でも無いが)のことを、他のPCを区別するために、「DOS/V機」などと呼ばれてた、あの「DOS/V」だ。
〇〇-DOS。Disk Operating Systemの略。一般的に、〇〇の部分は、「MS」がはいるわけだが、IBMから発売されていたDOSは、マイクロソフトが販売していたMS-DOSと区別するために、IBM-DOSなどと言われた。MS-DOSとIBM-DOSは、バージョンが一致していれば、基本的には、同じOS。違いは、どこかで解説。
MS-DOS、IBM-DOS以外に、システムコール(SAOか?!)レベルで互換性があるが、ことなったOSである、DR-DOSなども存在した。DRはDigital Researchの略。そのDOSに「/V」をつけたのがDOS/Vである(あたりまえか)。
DOS/V登場以前
NEC PC-98シリーズ・EPSON互換機
DOS/V登場以前は、NEC PC-98シリーズと、その互換機であるEPSON機で、パーソナルコンピュータ市場の8割前後のマーケットシェアが牛耳られていたはず。NEC、EPSON以外は、独自のアーキテクチャで、MS-DOSは利用できたがアーキテクチャの違いにより、それぞれのハードウェア向けのアプリケーションが必要だった。ソフトウェア開発企業は、マーケットシェアの高い、NEC/EPSON機向けにソフトウェアを開発していたので、NEC/EPSON以外のハードウェアは使えるソフトウェアの種類が少なかった。
IBM-PC互換にかけた弱小ハードウェア連合AX・東芝ダイナブックと本家IBM
IBMーPCを含めインテル(および、その互換)CPUを利用していたパーソナルコンピュータのアーキテクチャはCPUのアーキテクチャに引きずられ、どれも似たような構成だった。最大の違いは、いわゆる2バイト文字、日本語の表示する機能の部分だった。NEC/EPSON以外のハードウェアベンダーは、ソフトウェアの充実をはかるため、IBM-PCのアーキテクチャを元に、漢字等の2バイト文字を表示や入力をするためのハードウェア仕様を作成し、異なったハードウェアベンダーでも同一のソフトウェアが使える様にした。それが、AXである。参加、ハードウエアベンダーは、三菱、三洋、SONY、OKIなど。
AXは、ハードウェアで日本語表示を実現していたが、そのハードウェアをJEGAと呼んだ。いわゆる、ビデオカード。最近の言葉では、グラボである。JEGAは、IBM-PCで利用されていた、EGA(おそらく、640×350ドット、Extended Graphic Adapter)を表示できるハードウェアを拡張して、日本語表示を可能にしていたので、Japan(ese) EGA で、JEGAと呼ばれた。AXは、ハードウェア的には、IBMーPCのアーキテクチャそのものだった。具体的には、JEGA仕様のビデオカードをIBMーPC互換機に装着することで、AX機として利用できた。AX機は、英語モードに切り替える事で、英語圏のソフトウェアが利用できた。
同様に、IBMーPCのアーキテクチャにハードウェアで日本語を表示可能にしていたのが、東芝Dynobook。Dynabookは、CGA(640×200ドット、Common Graphics Atapter)をベースに日本語拡張した。AXとの互換性は無い(というか、おそらく、AXの方が後発)。ただし、AX同様、英語モードではIBM-PC用の英語圏ソフトウェアが利用できた。
IBM PS/55シリーズ
IBMもAXやDynabook同様、ハードウェアで日本語を表示するためのビデオカードを最新のIBMーPCに搭載していた。そのハードウェアは、EGAよりも高機能なVGA(Video Graphics Array)を元にしていた。PS/55シリーズは、米国では、32ビットを積んだPS/2機をベースとしており、IBM-PC互換機とよばれる、IBM PC-ATとは異なったハードウェア構成でだった。PC-ATとPS/2の違いは、別の回に記す。
富士通・パナソニック連合
富士通とパナソニック(松下)は提携し、NEC PC-98シリーズでも、IBM-PCでもない、富士通独自のアーキテクチャでパーソナルコンピュータ販売していた(FM-Rシリーズ、Panacom Mシリーズ)。しかし、関連グループ企業でしか普及していなかった。
国内外のPC価格差
当時、日本語表示の可・不可が障壁になっていたため、NEC-98、AX、Dynabook、FM-R・PanacomMのすべて、米国で販売されているIBMーPC互換機の倍程度の価格だった。AXの場合は、IBM PC互換機にJEGAを搭載するだけで良かったが、JEGA自体の価格が安くは無かった。
DOS/Vの登場
AX、PS/55、Dynabookでは、ハードウエアで日本語表示をしていたのを、ソフトウェアでまかったのが、DOS/Vである。PC-98シリーズも含めて、日本語表示のハードウェアは、主に
- 漢字のビットマップデータ(いわゆる漢字ROM)
- 表示装置
で構成されていた。ハードウェアで構成されていた理由は、漢字のビットマップデータをお保管するためのストレージコストと、漢字を表現するための高精細度かつ高速なグラフィックス表示能力が必要だったため。当時のPC-98シリーズやIBM PCの画面サイズは、横80文字(ダブルバイト文字で40文字)・縦25文字だった。漢字一文字を縦横16ドットで表現すると、横640ドット、縦400ドットが必要だったが、VGA登場以前は、IBM PCの解像度は、640×400ドットに達していなかった。
VGAでは、640×480ドットだったため、漢字の表示能力としては十分となった。IBM-PC で二日本語表示するための残る問題は、漢字ROMに相当するビットマップデータをどこに格納するのか?であるが、これは、Intel 80286以上で利用可能な、1M以上のメモリ空間に、OS起動時にディスクから読み込むようにした。この2つの機能を備えたDOSとして、DOS/Vが登場した。
そのため、DOS/VにはVGAとメモリ2Mが最低限の必要システムとなった。
DOS/Vの名称とバージョン
その時代のDOSがVersion 5だったという思い込みからか、/Vと誤解されることもあるが、実際には、VGAのVである(多分、きっと)。というのも、DOS/Vの最初DOSのバージョンは、Version 5ではなく、DOS Version 4だから。
最初のDOS/Vは、マイクロソフトからの発売はなく、IBMからの発売だったので、IBM-DOSと呼ばれる事が多かった。MS-DOSのDOS/VはVersion5リリース時に登場することになる。