第4回、[パソコン・ゲーム・ネット回想]HP-95LX/100LX/200LXとDOS/CとDOS/V

(このブログは記憶を頼りにしており、内容に間違いがある可能性があります)

いまだ色あせてないと思う、HP 200LX + DOS/V

あの頃は楽しかった~!とか言うと中年っぽいので、あまり昔話に花を咲かせたいとはおもわないが、メーカーの想定外の使い方がパソコン通信であまりにも広がったため、半オフィシャルになったともいえるのがnの日本語化だ。日本語化された200LXともよべるかもしれない(まぁ、正直どっちでもいいだろうけど)。

200LX/100LXの仕様のおさらい

どんな機械だったか。あまりググらないのがこの「回想」の立ち位置だし、実機をいまだにもっているので、それで確認すればイイ話なのだが、めんどくさくて、ちょっとググった。ググらなくても覚えていたのは、
  • CPUは8086相当のカスタムCPU
  • ビデオチップはCGA (640×200ドット)相当
  • バックライトなしの白黒モニター
  • いわゆるIBM-PC XT互換
  • メモリは、1MBもしくは2MB仕様。200LXの後期モデルに4MBモデルがあったと思う。
  • インタフェースは、PCMCIA Type2、シリアルポート(専用形状)、赤外線。
  • 乾電池2本駆動
  • レジューム機能あり
  • 疑似タスク切り替えあり
  • PIM(ふ、ふるい表現、Personal Information Managerの略で、電話帳とかメモ書きとかそういうツール)内蔵
  • MS-DOS 5.0をROMで内蔵(DOS/Vではない)
  • Lotus 123(DOSで動く表計算、Excelの先祖みたいなMultiplanという製品の競合製品)内蔵
100LXと200LXはボディの色が少し違うくらいで、中身的にはほぼ同じだったと記憶。価格は、100LXのほうが高かったかもしれない。本体5~6万円程度が当時の価格だったと思う。
英語OSがオリジナルで、英語圏では、PDA的な扱い、当時の言葉でいえば、電子手帳という意味あいが多かった。日本語が使えないので、知る人ぞしるというという製品だった

日本語化の夢をみて現実のモノとした100LX/200LX

DOS/Vの登場でIBM PC互換機で日本語がつかえるような状況になったが、最小スペックは80286 CPU + 2M RAM(1.6Mだったかも。いずれにせよ、20ビットを超えるアドレス空間にメモリがあることが条件)、VGAだったので、200LXでは使えない。が、それを無理矢理つかえるようにするようなプロジェクトが、当時のパソコン通信、ニフティサーブで繰り広げられた。

解決が必要な2つの課題

200LXのMS-DOSで日本語を扱うには、DOS/Vの仕様から逆算すると2つの課題があった。
1つ目は、フォントイメージをどこにロードするのか?という問題。DOS/Vではフォントイメージを高速ニアクセスするために、ハードディスクにファイルとして存在するフォントイメージを、起動時にメモリに読み込むことで、ハーディスクへのアクセスが発生せず、高速にフォントデータにアクセスできるようにしていた。200LXの場合、CPUが8086互換ということで、メモリバスは20ビット。いわゆる1Mのメモリ空間しかないので、その中にフォントイメージをロードする空間を確保することはできない。この問題は、200LXのストレージ、実際には、フラッシュメモリをPCMCIAに差してストレージにしていたので、フラッシュメモリ上に配置しているフォントデータに直接アクセスするようにした。PCMCIAのフラッシュメモリは、10年くらい前までは多少つかわれていた、コンパクトフラッシュの大きい版、いまでいえば、SDカードみたいなモノなので、ハードディスクと違いメモリへのアクセスだっため、高速に読み書きできた。
2つめの課題は表示装置。200LXはCGAなので縦方向が200ドットしかない。これでは、16×16のフォントでは、DOSの標準である縦25行での日本語表示はムリ。そこで開発されたのが8×8で構成された日本語フォント。漢字・ひらがな等を8×8でなんとか読める様にデザインしたフォントで、作者の娘さんがフォント名の由来となって「恵梨沙フォント」とと名付けれらていた。このフォントを使う事で、DOS/Vで日本語表示している方法と同じ方法をCGAで実現するためのドライバが開発された。VGAを使ってるからDOS/Vだったのに対し、CGAを使っているからDOS/Cなどと呼ばれてた。ファンクションコール(いまでいうところのAPI)レベルでDOS/VとDOS/Cは互換性を保っていたので、DOS/Vの用のアプリケーションが使えて、かつ、日本語が表示できようになった。

想像していなかった(少なくとも私は)200LX日本語化の展開

高解像度なフォントの利用

ことの発端は、V-Text。V-Textは高解像度を実現していたグラフィックチップを活用するためのDOS/Vの拡張だが、V-Text登場のおかげで、画面の文字数が80×25文字ではななくなり、VZ EditorをはじめとしたDOS/Vアプリケーションは、表示可能な文字数に応じた動作をするようになる。アプリケーションが80×25を想定しなくなったおかげで、200LXで実現のしたのは、縦方向が20文字である必要がなくった。そこで、8×8以外のフォント、たしか、14×14や16×16あたりだったとおもうが、普通に漢字を表示してもムリのないドット数を使ったフォントを、200LXで使うようになった。当然、行数は、25行ではなく、12~14行の表示になるが、DOS/Vのアプリケーション自体が、25行を想定しなくなったおかげて、縦方向の文字数がすくなくても動作するアプリケーションがある程度そろった。文章を書くという点では、VZ EditorとATOKがあれば十分だった。

200LXが最強な理由

レジューム、単三乾電池2本駆動、この組み合わせは、取り出してすぐに文章を書くという点では、最強の組み合わせ。更に、仮名漢字変換はATOK(多分バージョン8)が使える。エディタとしては、いまでも最強と言えると思う。

第3回、[パソコン・ゲーム・ネット回想]DOS/Vの日本語を表示するための2つのドライバとサードパーティドライバ

日本語を表示するための2つのデバイスドライバ

日本語を表示するために、大きくわけると2つの機能が必要だった。

フォントドライバ

第1回でも書いた通り、フォントは1M以上のメモリ空間にロードされた、それをロードするためのドライバが、IBM PC-DOS/Vでは$font.sys、MS-DOS/Vでは、jfont.sysだった。いずれも、80286の1M上のメモリ空間に読み込まれた。フォントはいわゆるビットマップデータだが、その自体は、IBM製とマイクロソフト製では、少し異なっていた。そのため、フォントをみれば、どちらのOSなのか?ということが判明した。そのほか、機能強化されたサードパーティ製ドライバも存在した。

ディスプレイドライバ

表示するためのドライバ。PC-DOS/Vでは$disp.sys、MS-DOS/Vでは、jdisp.sysだった。フォントドライバ同様、ディスプレイドライバでもサードパーティ製が存在した。

サードパーティドライバの登場

PC-DOS/MS-DOSの日本語表示機能では実現できない機能、つまり拡張機能を備えたをサードパーティドライバは提供していた。なぜ、拡張機能が開発されたのか?というのは、当時のハードウェア状況に強く依存していた。

当時、VGAはすでにレガシーだった

DOS/Vバージョン4がリリースされた当時、ディスプレイ装置としてVGAが最新ということではなかった。IBMも、次のバージョンのディスプレイ装置(ビデオカード、グラフィックスアダプター、などと呼ばれた)として、XGA(eXtended Graphics Array)を、IBM-PC ATの次のアーキテクチャのPS/2(日本では、PS/55)に搭載してリリースしていた。XGAはVGAの上位互換という位置づけだったので、同然、DOS/Vも動作した。
IBM PC-ATを遡るのは別の回として、AT互換に搭載されるディスプレイ装置は、VGA互換で、それぞれのビデオチップメーカーがVGAを拡張したチップが搭載されていた。そのチップでは、VGAでは実現できなかった解像度、たとえば、800×600や1024×768といった解像度を独自拡張でサポートしていた。その拡張を、Super VGA、略して、SVGAなどと呼ばれた。
つまるところ、DOS/Vがリリースされた当時の主なハードウェアはVGA以上の解像度をサポートしていたことになる。しかし、DOS/V利用した場合、VGAとして動作するので、DOS/Vの
画面は、640×480で、かつ、横80文字(全角40文字)、縦25行の表示にとどまっていた。(VGAなら、全角16ドットx40文字=640ドット、16ドットx25行=400ドット、残りの80ドットはFEPで利用や予備)。
ちなみに、SVGA独自拡張部分を活用するには、ソフトウェアが、それぞれのハードウェアをサポートする必要があったので、実際にSVGA部分を活用したのは、大手からリリースされるアプリケーションやゲームのみにとどまった。

SVGAやXGAの機能を活用したサードパーティドライバ、Hi-Text・V-Text

SVGAやXGAの解像度を活用し、より多くの行数を表示したり、より高品質なフォント表示できるようにしたのがサードパーティ製のドライバだった。
例えば、フォントドライバでは、標準の16ドットではなく、24ドットにすることで、XGAの解像度である横1024ドット、縦768ドット。を活用できた(24ドットx40文字=960ドット、24ドットx25行=600ドット)。
また、フォントのドット数は16ドットのまま、SVGAの800×600の解像度で最大文字数を表示すると、横50文字(=800/16)、縦36or37(=600/16)が可能になった。
こういった、高品質なフォントや、より多くの文字表示を実現するのに、純正ではないドライバ、つまり、サードパーティドライバがリリースされた。
こういったドライバを、当時、Hi-Textとよばれ、その後、V-Textと呼ばれた。名称の変更理由は、当初、高解像度(High Resolution)を活用するための仕様だったので、Hi-Textとよばれていたのだが、サードパーティドライバが低解像度もサポートしはじめたから、というのが多分理由(都市伝説かもしれない)。

Super VGA対応

当初は、Super VGAというのは共通の仕様があったりするものではなく、各ビデオチップがVGAを拡張し、より、高解像度のモードを提供していることを総称して、Super VGA(SVGA)と呼んでいた。途中で、VESAという団体がSVGAの仕様(いまでいうところのAPIみたいなもん)を決めた。ほとんどのビデオチップは少なくとも800×600をサポートしていたので、SVGA=800×600という誤解がうまれ、現在も、その誤解が使われている。そのVESAの仕様に基づいて、標準的な最大公約数的なサードパーティ製V-Textドライバがリリースされた。

そのほかのグラフィックスカード(グラフィックスチップ)性能とV-Text対応

少し、V-Textから離れて当時のディスプレイチップ(アダプター)のことを記す。Windows登場前に流行していたグラフィックスチップは、Tseng LabのET4000だったり、Trident製(型番等忘れた)だった。この時代は、VGAとしての性能や独自の高解像度・多色化で競い差別化していた。
Windows3.0の頃にも、Tseng LabやTridentのビデオチップが使われていたが、これらは、フレームバッファとよばれ、VGAと比較して大きな容量のビデオRAMを積むが、RAMの書換にはCPUが介入していた。Windowsでウインドウなどの矩形をドラッグ&ドロップした時や、アプリケーションでスクロールした際には、画像データを別のアドレスにコピーする処理を実行するのだが、その処理をCPUで行うには、CPUパワーを喰うだけでなく、ウィンドウの移動速度も相当遅かった。
Windowsでの矩形移動処理はBitBltという命令で実施されるのだが、これをハードウェアで実装したビデオチップが登場した。Windowsが実用的な速度で利用できるようになったのは、このBitBltのハードウェア実装が1つの要因だった。その高速に矩形を移動できる機能は、グラフィックで文字を描画するV-Textでも当然いかされ、ビデオチップ毎のドライバが作成された、それもサードパーティドライバの特徴の1つだった。このハードウェアで描画する機能をそなえたチップを、それまでのチップと区別するために、グラフィックアクセラレーターなどとも呼ばれた。S3 86C911というのが最初に流行したグラフィックアクセラレーターだったが、VGA性能はET4000などと比較すると、すこぶる悪かったので、DOSゲーム向きなET4000、Windows向きな86C911と言われていた。S3は、このあと、しばらく、グラフィックアダプターの市場で、大きなシェアを得ることになる(が、その後、衰退)。

本家PC-DOS/V、MS-DOS/VでのV-Text対応

もちろん、本家でも、バージョン6.XからV-Text対応行われた。ただし、サポートされていたのは
、SVGAと一部のビデオチップのみだったので、本家利用の場合は、800×600までが利用できたが、当時のビデオチップ主流の1024×768利用にはサードパーティドライバが必要だった。IBM PC-DOSには、XGA純正なドライバがはいっていた気もする

アプリケーションのV-Text対応

MS-DOSのアプリケーションは、他のMS-DOSプラットフォームも含めて、文字を表示する画面サイズは、80×25に固定されていた。V-Text登場以前のDOS/Vに対応したアプリケーションも、80×25の画面サイズ固定で作成されていた。そういったアプリケーションをV-Textで拡張した画面サイズで利用すると、左上から80×25文字しか利用されないということもよく起きていた。

アプリケーションのV-Text対応

V-Textが思いのほか流行したのは、ビレッジセンターのVZ EditorのV-Text対応が大きかったと思う。当時、DOS上で、一般的に文章を書くツールといえば、デファクトスタンダードは、ジャストシステム一太郎、対抗が管理工学「松」だったと思う(少なくとも、PC-98では)。一太郎はDOS/V版もリリースされていたが、PC-98シリーズにくらべ、DOS/Vは、PCマニアの香りが強かったため、より、高速に文章編集できるテキストエディタが、文書作成にもよく利用されていて、比較的安価だった、VZ Editorは、かなり浸透してたと思う。VZ Editor登場以前は、Mifesというテキストエディタが存在していたが、価格的にVZの3倍くらいなので、あっという間に、VZ Editorが普及した。
そのデファクトとも言える、テキストエディタは、早い段階で、V-Text対応した。その他、よく使われていたファイラー(WindowsでいうころのExplorerみたいなもん)のFDや、パソコン通信ソフトのWTERM(いずれもフリーウェア)なども対応したので、DOS/Vの世界では、V-Textは一定の成功を得たと思う。
蛇足だが、VZ Editorをリリースしたビレッジセンターの社長さんの名前が”中村”だったので、会社名はビレッジセンターだった。
商用ソフトウェアについての記憶はあまりないが、商用ソフトウェアのV-Text対応はそれほど多くなかった気もする。理由としては、商用ソフトウェアベンダーは、V-Text対応のソフトウェアリリースよりも、Windows対応に力を入れていたからだと思う。
いずれにせよ、VZ、FD、WTERMなど、比較的PCマニア系がよく使うツールは、V-Text対応されたおかげで、80×25文字と比較して、より多くの文字で快適に作業する環境を手に入れることができた。

V-Textの予想もしなかった(少なくとも私は)展開

V-Textの登場が、その後、HP 95LX/100LX/200LXの日本語化に大きく影響をあたえていくのだが、その話は次回以降ということで。

第2回、[パソコン・ゲーム・ネット回想]DOS/VのDOSバージョンについて

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DOS/V」。この言葉、息が長かった。Windows 2000/XP以降は、DOSすら使ってないのに「DOS/Vパソコン」という言葉でパソコンを呼ぶことがあった
当時は、PC-98シリーズではなく、MacでもないパソコンをDOS/Vパソコンと呼んだりしていた。OSとしてのDOS/Vつかってないのに、DOS/Vパソコンと呼ぶのに抵抗がある人々(わたしも含めて)は、(IBM PC-)AT互換機(発音:えいてぃごかんき)など呼んだりしていた。当時(主に1990年代)、PC-98シリーズ以外で、DOS/VやWindows2000/XPを走らせていたパソコンは、紛れもなく、PC-AT互換機だったので、これは正確にブツを示していた言葉だった。

DOS/Vのバージョン

IBM PC-DOS/V、Microsoft MS-DOS/Vの2種類のDOS/Vが存在し、構成が微妙に違うので、覚えてる限りを記しておきます。

バージョン4.X

PC-DOS/Vのみが存在していた。英語圏で、すぐに、Version 5のPC-DOSがリリースされたので、日本語版のPC-DOS/V 4.Xはかなり短命だったはず。NECはPC-98シリーズ向けのDOS 4.Xをリリースしていなかったので、日本では特にマイナーバージョンとなった。蛇足だが、EPSONは、PC-98互換機で動くDOS4.Xをリリースしていたはず。DOS自体が大きくなっており、DOSが利用できるメモリ領域(コンベンショナルメモリと呼ばれた)をDOS自体が圧迫していて、Windowsを含む、大きめのアプリケーションは、空きメモリにロードしきれなかったこともあり、あまり利用されなかった。また、仮名漢字変換プログラム(Front End Processor、FEP、フェップと呼ばれた)もメモリに常駐するので、英語環境と比較すると極端に利用可能メモリが少なかった。

バージョン5.X

DOS/Vがブレークしたバージョン。DOS自体の強化が強力だったこと、また、同時期に、Windows 3.1がリリースされたことにより、パソコン自体の需要が増えたこともあって、結構な勢いで普及した。バージョン4で問題となっていたコンベンショナルメモリの圧迫を回避するために、i386CPU以上の仮想86モードをDOSでも活用して、UMB(Upper Memory Block)や、EMS(Extended Memory Specfication()というメモリ管理の仕様をフル活用できていた。そのためのデバイスドライバ(EMM386.EXE)も提供された。
擬似的にマルチタスクも実現し、複数のDOSアプリケーションを切り替えて利用することもできた(が、結構不安定だった気もする)。
そのほか、黒い画面でコマンド打たなくても使える様にするためのDOSSHELLや、一度入力した、コマンドの履歴をたどれるようなDOSKEYなど便利な機能も提供していた。

バージョン6.X

MS-DOSとPCーDOSでリリースされたバージョンが微妙にちがっていた気がする。MS-DOS/Vは6.2、PC-DOS/Vは6.1だったかな。(細かいバージョンは、wikipedia等で確認してください)。MS-DOS、PC-DOSともに、バージョン5の強化版で、利用メモリの最適化が最大の強化点だった。
バージョン5までは、デバイスドライバの読み込む順序を利用者側が手動で設定してメモリの最適化、実際には、必要なドライバを組み込む順序変更して、コンベンショナルメモリの空きを最大化していた。バージョン5が最新だった頃は、サードパーティのメモリ管理ツールがよく利用されていた。QEMMがもっとも人気のあるツールで、QEMMでは、ドライバを読み込む順序や設定などを自動的に最適化してくれた。バージョン6のDOS/Vでは、QEMMほど高機能ではないが、自動的にドライバ順序の最適化をするツール標準装備されていた。
もうひとつの大きな強化点は、V-Text(Hi-text)の対応だった。これは、かなり大きなトピックなので次回で記すが、V-Textによって、それまで、横80文字(全角文字だと40文字)x25行が標準だった文字表示が、それ以外の文字数・列表示が可能になった。

バージョン7.X

PC-DOS/Vのみリリースされた。個人的には利用していなかったので何がよかったのか不明。

第1回、[パソコン・ゲーム・ネット回想]日本語表示とDOS/V、その1

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第1回のお題として選んだのは「DOS/V」。Windows XPが普及して、DOS/Vが使われなくなった時代でも、いわゆる、IBM-PC互換機(というかすでに互換機でも無いが)のことを、他のPCを区別するために、「DOS/V機」などと呼ばれてた、あの「DOS/V」だ。

〇〇-DOS。Disk Operating Systemの略。一般的に、〇〇の部分は、「MS」がはいるわけだが、IBMから発売されていたDOSは、マイクロソフトが販売していたMS-DOSと区別するために、IBM-DOSなどと言われた。MS-DOSとIBM-DOSは、バージョンが一致していれば、基本的には、同じOS。違いは、どこかで解説。
MS-DOS、IBM-DOS以外に、システムコール(SAOか?!)レベルで互換性があるが、ことなったOSである、DR-DOSなども存在した。DRはDigital Researchの略。そのDOSに「/V」をつけたのがDOS/Vである(あたりまえか)。

DOS/V登場以前

NEC PC-98シリーズ・EPSON互換機

DOS/V登場以前は、NEC PC-98シリーズと、その互換機であるEPSON機で、パーソナルコンピュータ市場の8割前後のマーケットシェアが牛耳られていたはず。NEC、EPSON以外は、独自のアーキテクチャで、MS-DOSは利用できたがアーキテクチャの違いにより、それぞれのハードウェア向けのアプリケーションが必要だった。ソフトウェア開発企業は、マーケットシェアの高い、NEC/EPSON機向けにソフトウェアを開発していたので、NEC/EPSON以外のハードウェアは使えるソフトウェアの種類が少なかった。

IBM-PC互換にかけた弱小ハードウェア連合AX・東芝ダイナブックと本家IBM

IBMーPCを含めインテル(および、その互換)CPUを利用していたパーソナルコンピュータのアーキテクチャはCPUのアーキテクチャに引きずられ、どれも似たような構成だった。最大の違いは、いわゆる2バイト文字、日本語の表示する機能の部分だった。NEC/EPSON以外のハードウェアベンダーは、ソフトウェアの充実をはかるため、IBM-PCのアーキテクチャを元に、漢字等の2バイト文字を表示や入力をするためのハードウェア仕様を作成し、異なったハードウェアベンダーでも同一のソフトウェアが使える様にした。それが、AXである。参加、ハードウエアベンダーは、三菱、三洋、SONY、OKIなど。
AXは、ハードウェアで日本語表示を実現していたが、そのハードウェアをJEGAと呼んだ。いわゆる、ビデオカード。最近の言葉では、グラボである。JEGAは、IBM-PCで利用されていた、EGA(おそらく、640×350ドット、Extended Graphic Adapter)を表示できるハードウェアを拡張して、日本語表示を可能にしていたので、Japan(ese) EGA で、JEGAと呼ばれた。AXは、ハードウェア的には、IBMーPCのアーキテクチャそのものだった。具体的には、JEGA仕様のビデオカードをIBMーPC互換機に装着することで、AX機として利用できた。AX機は、英語モードに切り替える事で、英語圏のソフトウェアが利用できた。
同様に、IBMーPCのアーキテクチャにハードウェアで日本語を表示可能にしていたのが、東芝Dynobook。Dynabookは、CGA(640×200ドット、Common Graphics Atapter)をベースに日本語拡張した。AXとの互換性は無い(というか、おそらく、AXの方が後発)。ただし、AX同様、英語モードではIBM-PC用の英語圏ソフトウェアが利用できた。

IBM PS/55シリーズ

IBMもAXやDynabook同様、ハードウェアで日本語を表示するためのビデオカードを最新のIBMーPCに搭載していた。そのハードウェアは、EGAよりも高機能なVGA(Video Graphics Array)を元にしていた。PS/55シリーズは、米国では、32ビットを積んだPS/2機をベースとしており、IBM-PC互換機とよばれる、IBM PC-ATとは異なったハードウェア構成でだった。PC-ATとPS/2の違いは、別の回に記す。

富士通・パナソニック連合

富士通とパナソニック(松下)は提携し、NEC PC-98シリーズでも、IBM-PCでもない、富士通独自のアーキテクチャでパーソナルコンピュータ販売していた(FM-Rシリーズ、Panacom Mシリーズ)。しかし、関連グループ企業でしか普及していなかった。

国内外のPC価格差

当時、日本語表示の可・不可が障壁になっていたため、NEC-98、AX、Dynabook、FM-R・PanacomMのすべて、米国で販売されているIBMーPC互換機の倍程度の価格だった。AXの場合は、IBM PC互換機にJEGAを搭載するだけで良かったが、JEGA自体の価格が安くは無かった。

DOS/Vの登場

AX、PS/55、Dynabookでは、ハードウエアで日本語表示をしていたのを、ソフトウェアでまかったのが、DOS/Vである。PC-98シリーズも含めて、日本語表示のハードウェアは、主に
  • 漢字のビットマップデータ(いわゆる漢字ROM)
  • 表示装置
で構成されていた。ハードウェアで構成されていた理由は、漢字のビットマップデータをお保管するためのストレージコストと、漢字を表現するための高精細度かつ高速なグラフィックス表示能力が必要だったため。当時のPC-98シリーズやIBM PCの画面サイズは、横80文字(ダブルバイト文字で40文字)・縦25文字だった。漢字一文字を縦横16ドットで表現すると、横640ドット、縦400ドットが必要だったが、VGA登場以前は、IBM PCの解像度は、640×400ドットに達していなかった。
VGAでは、640×480ドットだったため、漢字の表示能力としては十分となった。IBM-PC で二日本語表示するための残る問題は、漢字ROMに相当するビットマップデータをどこに格納するのか?であるが、これは、Intel 80286以上で利用可能な、1M以上のメモリ空間に、OS起動時にディスクから読み込むようにした。この2つの機能を備えたDOSとして、DOS/Vが登場した。
そのため、DOS/VにはVGAとメモリ2Mが最低限の必要システムとなった。

DOS/Vの名称とバージョン

その時代のDOSがVersion 5だったという思い込みからか、/Vと誤解されることもあるが、実際には、VGAのVである(多分、きっと)。というのも、DOS/Vの最初DOSのバージョンは、Version 5ではなく、DOS Version 4だから。
最初のDOS/Vは、マイクロソフトからの発売はなく、IBMからの発売だったので、IBM-DOSと呼ばれる事が多かった。MS-DOSのDOS/VはVersion5リリース時に登場することになる。

ドスパラ8インチWidowsoタブ、DG-D08IW2L へのWindows10クリーンインストールには、Windows 10のバージョンに気をつける

なにをいってるんだか?のタイトルになってますが、ご存じの通り、Windows 10は、だいたい年に二度ほど大きな更新がされていて、見た目はあまりかわらずなのだが、結構中身が変わってる。。。

以前、DG-D08IW2L に、Windows 10をクリーンインストールした際、ドライバ関連は、すべて、OS標準でインストールできたので、超簡単なクリーンインストールと思っていたのだけど、今回、Windows 10の1903をクリーンインストールしたら、これが、不明なデバイスの嵐。
うーん。こまったということで、手元にバックアップしてあった古めのWindows 10(←この表現すらアレだが)でトライ。1609だとNG、1709だとOK!他のバージョンは試してないけど、1709近辺のWindows10なら簡単にDG-D08IW2LへのOSクリーンインスコがいけそうだということですわ。